福島家庭裁判所 事件番号不詳 決定
少年 山田輝一(仮名) 昭和十三年十一月三十日生 職業なし
住居 相馬郡○○村○○字北○○○一六
本籍 同右
主文
この事件を福島地方検察庁の検察官に送致する。
理由
罪となるべき事実
少年は昭和三一年八月十三日午後九時三〇分頃○○市字○○所在の○○郵便局前路上において折から同所を通行中のA(当一八年)と些細なことから口論の末同夜一〇時頃Aと共に同市大字○○○字夜ノ森前一番地所在夜ノ森公園に至つたが同所においてAより股部を蹴られそうになつた上更に手拳にて顏面を殴打されそうになるやここに同人を殺害しようとして所携の匕首を振つてAの左胸部目がけて突きさし因つて同日午後一一時五〇分頃同市大字○○○字○○一二番地所在○○病院においてAをして左内乳動脈切断による失血死に至らしめもつて殺害したものである。
罪となるべき事実に適用した罰条
刑法第一九九条
主文に適用すべき法令
少年法第二〇条
(裁判官 羽染徳次)
調査報告書
福島家庭裁判所
裁判官 羽染徳次殿
昭和三一年九月三日
同庁
家庭裁判所調査官 東郷晶子
昭和三一年少第六七四号 少年 山田輝一(仮名)
右記少年に関し、左記のとおり調査したから報告します。
日時 昭和三一年八月三一日、九月三日
場所 福島少年鑑別所
陳述者 山田輝一(仮名)
少年との関係 職業高校生
住居 福島県相馬郡○○村○○字北○○○一六
陳述の要旨
生活史
○ 子供の頃のことは知らない、小学校は○○小学校、中学も○○中学をでた。勉強は元来好きでなく従つて成績もあまり良くなかつたが真面目に通学し学校を休みたいなど考えるようなことはなかつた。普通の生徒だつたと思う。先生に注意を受けたこともなく、暄嘩はしたことがない。友達もあつた。
○ 中学一年の終り頃、歴史の時間だつたが、別に学校がつまらないというわけではなかつたが居睡りをして級の女の子に笑われたことがある。教室の机の配列は八列で男女夫々四列ずつになつていたが、丁度女生徒との境の列に坐つていた。
それ以来私は非常な恥ずかしがりになり教室で弁当を食べられなくなつてしまつた。学校に弁当を持つて行かなかつたりし、弁当を持つて行つても半分位で胸がつまる様な気がして食べられなくなり、皆よりひと足先に教室を出て運動場で遊んでいた。皆と一緒に食事ができないというのは高校一年の終頃まで続いた。その後はそれが習慣となり高校時代一年も弁当を持つて行つたことがない。別に腹も空かなかつた。そして高校に入つてからは昼食時には図書室で本を読んでいたりした。パンを買つてひとりで食べたこともある。
○ また、中学二年頃から顏が赤くなつて人前で話せなくなつた。友達から顏を赤くなると云われますます気になり別になんでもないことにも顏を赤らめるようになつた。そして授業時間、先生に指されても答えられないこともあつた。女の子とは話もできなかつた。高校に入つてからも席が女の子の隣だつた。特定の女の子に関心を持つたことはない。
○ 中学校を卒業したら私は就職するつもりで、岐阜の紡績会社の試験を受け採用されることになつたが、家の人は高校に進めという。そこで勉強は嫌いだつたが○○○高校商業科に入学した。成績は悪く、先生から何度も注意を受けたがする気がしなかつた。かといつて別に運動もしなかつた。好きな学科は別になく英語が特に嫌いだつた。母から勉強するように云われたけれど身が入らず仕方がないので、せめて試験の時には机に向かつて探偵小説を読んでいた。それでも学校はやめようという気になつたことがない。
○ 高校一年の頃私の中学時代の同級生で○○高校に行つている友達を通じて当時その同級生であつたSという人と友達となつた。私はこの人とつきあうようになつてから自分でも変つたと思う。不真面目になつたのだ。学校は二年の終り頃からサボリ始め、友人二-三人と映画に行つたりしていた。タバコもこの頃おぼえ学校でかくれて喫うようになつた。
○ 高校に入つてから一度喧嘩をしたことがある。ピンポンをしていた時順番に無理に割込もうとする同級生があつたので私はそれを不愉快に思い殴りあいの喧嘩になつた。私はそういうずるいことは大嫌いで私自身そんなことはしたことがない。勝敗はきまらずその後は普通につきあつている。
○ 中学上級の頃母は胸が悪くて入院しその後身体の調子が思わしくなく働けないので夜や休日には私が夕食の支度後片附けをするようになり高校に入つてからは洗濯も自分でするようになつた。今でも片附けは私がやり、母が疲れて寝込んだ時には夕食も作つている。
○ 小遣は父からその都度もらつていたが、映画を観たり、パンを食べたりするのには不充分で授業料は二回に一度位ずつ納入せず小遣にあてるようになつた。
○ 高校二年の頃から腋臭になつた。たいした重くなく誰からも臭いと云われたことはないが、シヤツが黄色くなつて不愉快なので父に話し今年の七月手術した。同じ頃友人に教えられて自慰を始めた。友達と時には女の話などもするようになり、女の友達が慾しくなつた。けれども女の友達はいなかつたしパンパンや等へは行つたこともない。その頃赤面することはほとんど少くなつた。
○ 去年の暮何気なく蔵に行き箱の中から刀を見つけ私は家人に黙つて一本持出し木小屋にかくしておいたが、鳥籠等を作るときにいいなと思つて、今年の初め、それを短刀にすることを友人に頼み、大工さんに鞘も作つてもらつた。そして三年生になつてから、喧嘩を吹つかけられた時の為にと祭や、その他時々外出の際持ち歩くようになつた。昨年中三-四回祭等の人出の多い時与太公らしい人に眼つけられたことがあり、喧嘩にまきこまれることもないとはいえないと考えていたからだ。
○ 病気らしい病気はしたことがない。
家庭との関係
○ 祖父は八〇を越した老人であるが、まだまだしつかりしており、家族のことをいろいろ心配してくれている。仕事はしない。私に対しては叱るべき時には叱るという人である。祖母について知らない。
○ 父は酒、煙草をやらず、真面目で無口な人である。冗談等も殆んど云わない。私達に対して細かいことはいちいち注意したりしない。兄などは父に遠慮している様子であるが私は別に煙たくも思わず普通に接していた。父はあまり丈夫でない。父は(母もであるが)私達兄弟を皆同じように扱つてくれた。私だけ特に可愛がられているとか、可愛がられないとか考えたことはない。家の財産は父が預つている。
○ 母は皆に較べたら朗らかでがらがらしている方である。身体が悪く日に二-三回は床に就くことがあるが、その為家の中は陰気になるようなことはない。母が寝ているときは家でラジオはかけないでいる。父よりも細かく、いろいろ私に注意してくれたが、私はあまり聞かなかつた。しかし反抗はしなかつた。私が短気で無口だからといつて母は私に特に気を使つたりしなかつたと思う。父も母も私は好きである。
○ 兄信次は一番好きだ。性質も良く働き者である。おとなしい性質でいつか私がかくしておいた短刀をみつけられたことがあつたが別に何とも云わなかつた。学生時代も真面目だつたように思う。私は別に、この兄と比較されてあれこれ云われたことはない。
○ 弟妹
きらいではないが優しくしてやらなかつた。忙がしい時でも遊んでばかりいて手伝わず、おもしろくなかつた一番大きい弟など特にそうだ。けれども私がいない時など母に手伝つて夕食の用意をしたりすることもあるらしい。
○ 家族同志はたまに父母が夫婦げんかをする位で仲良くやつている。私は家に不満はないし、時には冗談を云つたりすることもあつた。仕事もよく手伝つたつもりだ。家を出たいなど考えたことはない。夜は皆でラジオを聴く大抵歌謡曲を入れるが父はうるさいなどと云わない。
家は特にたのしいとも思わないがいやだとも思わない。家にいるより友人といる時の方が一層好きではある。朝六時起床、掃除をやり、登校、就寝は九時頃が普通であつた。
学校生活
学科には興味がなく先生に注意されても一向に勉強する気にならなかつた。試験の時も殆んど勉強しなかつた。さぼつて映画に行つたりもした。
学校では皆から好かれも嫌われもしなかつた。乱暴なことはしない。
人を殴つたこともない。私もこわがつていた人はいなかつたと思う。温和しかつたつもりだ。
学校ではかくれて煙草を喫つた。そんな生徒は一級に約十人位であるが中には成績の良い人も悪い人もいる。皆親しくしており、煙草は買つたり貰つたりしていた。成績の悪いことは少ししか気にならなかつた。赤面する癖はいつの間にかなおつていた。
級友の中にはカンニングをして受験するものも相当あつたが私はそういうことはしたことがない。
交友関係、余暇の生活
○ 一番の友人はSで親友である。この人は最初○○農林高校に入学したが一年でやめ一年位ブラブラして後○○高校にあらためて入学した。私の中学時代の友人の陶の紹介で友達になつた。学校でカンニングをして一週間の停学処分を受けたことがあり、また乱暴者で癪にさわると相手かまわず殴るのでおそれられていた。年は私と同じだが、学年は一年下である。決して真面目な友達とは思つていなかつたが人に親切なのと、男らしいところが私は好きだつた。
映画に行つて遅くなつた時にはSの家に泊つたこともある。彼の部屋は家族とは独立しており、泊つても誰とも顏を合わせずに済むので好都合だつた。私は彼と一緒に寝、いろんな世間話などをして床の中でしやべるのが好きだつた。翌朝はパンを買つて食べ真直ぐ登校していた。
私は彼と知合つてから不真面目になつたとは思うが、乱暴な性質まで彼の影響を受けたとは思わない。
○ 近所に中学時代同級で今は農業をしているBという友達がいるが今は会えば話す程度のつきあいでしかない。近所に友人はいない。私と同じく○○から、学校は○○農校に行つているFとは、中学時代から友達ではない。○その他にも友達はあるが多くはない。映画に誘つたり誘われたり、奢つたり、奢られたりという遊びだけの友達である。
○ 映画には一週間に二度位行つていた。西部劇が好きであるが、それでなければならないというものではない。学校からの帰途真直ぐ行くこともある。
家に断わらないこともあつた。父母に注意されていた。
夕食をパンを買つて済ませることもあれば家に帰つてから食べることもある。大抵十時半頃には帰宅できる。
○ 友達と話したり騒いだりして過すのは好きだ。ひとりでいるのは淋しい。家に帰つてきて退屈なときは漫画を見たり、友達から借りた探偵小説を読んだりしている。
○ また小鳥を飼うのが好きで毎年秋には自分で捕えて、飼うが大抵死んだり逃げたりしてしまう。
その他別に好きなことはない。歌謡曲が好き。歌う方は駄目だが聴くのはいい。春日八郎や三橋美智也等が好きである。ジャズやクラシックはきらい。
心身
○ 身体は腋臭であること以外どこも悪くない。腋臭は今年の七月二十六日に右の方を手術した。ピンを外したが四日目にまた悪くなり治療に通つて非行の当日ピンを外し、翌日左の方を手術することになつていた。
○ 私は自分が意志が弱い人間だと思つている。人に誘われると大抵のことは断りきれない。しかし人を誘つて断られても別に苦にならず、思いついたことがやれなくても気がくさくさするという様なことはない。心配ごとがあつても一日中頭から離れないという方ではない。
○ 父母などから何か云われても強く弁解したり、反駁したりすることができない方である。今年の春のことだつたが卒業してからと思つて母の妹の主人に私の就職を頼んでいたが義叔父の会社に入れることになりそうで、私は一度見に来いとも云われたし、会社を見に行こうと母に相談したところ行くなと云われた。あとで知つたのだが、母は冗談のつもりだつたらしい。ところが私は口惜しさで一杯となり、しかし黙つて自分の部屋に入つて泣いたことがある。こんな時に私は自分の気持を強く主張することが出来ない。映画などを観ては泣かぬが口惜しい時は涙が出る。
○ 私は当時決して自分を真面目だと思つていなかつた。特に煙草をすう時には何時も思つた。学校もサボつた。
私は実のところ、自分の不真面目な行いが自分乍ら心配だつた。けれども真面目になれなかつた。
勉強も気になつていた。けれどもする気になれなかつた。
非行歴及び事件非行
○ 今度まで悪いことをして取調べられたことはない。
本件の動機
私は昨年中四回ぐらい与太者らしい人に眼つけられたことがある。眼づけるというのはじつとにらむ様に相手を見ていることだ。私は服装等きちんとしていたし、何故そうされたかわからない。その頃はいくら癪にさわつても相手が与太公だからと避けるようにしていた。
たまたま私は家で刀を見つけた。鳥籠を作るのにいいと思い木小屋にかくしておいたが、今年になつてから喧嘩の時に使うといいと思つて作り直してもらい春頃から時々腰にさして歩くようになつた。祭の時だとか夜外出する時などたまに持出し普通は自分の机の抽出しに鍵をかけて入れておいた。
与太者に喧嘩をしかけられたら、どうしよう等ということは全然考えてみたことはなかつた。短刀を腰にさしている時は、安心して歩けるなどということはなく、喧嘩をしたいなどとは勿論考えなかつた。
このように私が短刀を持つていたこと、相手に眼づけられて癪にさわる。同年位の学生だつたので敢えてそれを受けたのが間違いのもとだつた。
本件内容
○ 八月十三日は七夕祭の最終日だつたので、母から卵を売りに行つて来いといわれた。ついでに見物して行こうと思つた。乗つて行つた自転車は友達のSの家に預けた。Sは留守だつた。
○ ひとりで見物して歩いているうちにSに遭い、同じところばかりではつまらないからと二人でブラブラ夜の森に行き公園をブラつき帰りにはSが買つたリンゴを噛り乍らまた街に出た。
○ その後郵便局前で会い喧嘩になつた末、夜の森で私が刺してしまつた。○○農業高校の生徒はその時が初対面で名前は勿論知らなかつた。多少不良じみているように思えた。
○ 眼つけられて癪にさわつたのでリンゴの芯をぶつつけた。相手は怒つたらしく「来い」と云い、私はこれは喧嘩をするつもりだなと思つた。そして相手がやるというのならやつてやろうと一緒に行つた。相手は学生なので手強いだろうとは思わなかつた。
○ 夜の森の公園に着いて、シャツを脱げと云われたので脱ぎ名前をきかれた。相手は自分の名前を名乗らず、私も適当に○○のTだと名乗つた。
○ 素手でやろうという約束だつた。
突然相手は私の股間をけりあげようとしたので私はよろめき、相手は手強いから負けると思い短刀を出した。これで相手が驚いて逃げるだろうと思つた。ところが逃げる様子もないので私は鞘をはらつて左手に持つた鞘で相手の顏を突いた。鼻血が出た。刀身は右手に下げていた。相手はおこつて私の左側の方からかかつてきた。顏を叩くつもりかと思われた。そこでとつさに右手の短刀で相手の胸を突いた。その時私は何も考えず夢中だつた。殺す気持は最初からなかつた。ふつう胸は危険な場所だということは知つていたがその時は相手に叩かれまいとしてカッとなつてしまつた。
○ 相手は痛いとも云わず走つてシャツを置き放しにしたまま逃げて行つた。そこで私はたいしたことがないと考え帰途についた。
○ その晩帰宅したのは午后一二時頃だつたと思う。
帰つてからもしや死ぬのではないだろうかと心配になつた。そんなことを考えてなかなか寝つかれなかつたが、何時の間にか眠つてしまつた。
○ 翌朝私は相手の鼻血のついたシャツを洗い、左の方の腋臭を手術する為に出掛けようとしバスの停留所で捕つた。
現在の心境
人を殺してしまつた現在何も云うことはない。相手がどんな人であつたにせよ申訳ないことをしたと思つている。
あの頃私はたしかに真面目な学生ではなかつた。また家にいては良い子供ではなかつた。後悔で一杯である。どんな報いでも当然だと思つている。自殺したいなどとは考えない。鑑別所には馴れはしたがあまり話をしたくなく、友達はできない。父母が面会に来てくれた。
調査報告書
福島家庭裁判所 裁判官 羽染徳次殿
昭和三一年八月二七日
同庁
家庭裁判所調査官 東郷晶子
昭和三一年少第六七四号
〔少年〕山田輝一(仮名)
右記少年に関し、左記のとおり調査したから報告します。
〔日時〕 昭和三一年八月二七日
〔陳述者〕 山田与一(仮名)
少年との関係 実父 職業農業
〔場所〕 福島家庭裁判所
〔住居〕 福島県相馬郡○○村○○字北○○○一六
陳述の要旨
家庭
続柄
氏名
年令
職業
生活程度
教育程度
性行
祖父
山田元一(仮名)
八二
農業
中
小卒
老令ながらしつかりして居り健康
実父
山田与一(〃)
五二
〃
〃
○○郡立
農学校卒
(温和実直)
実母
〃 カネ(〃)
四六
〃
〃
高小卒
温和
実兄
〃 信次(〃)
二〇
〃
〃
○○高校卒
内気で静か
実弟
〃 一郎(〃)
一五
〃
県立
○○農高一年生
真面目静か
〃
〃 保(〃)
一三
〃
中学二年生
}何れも学業成績はふるわないが品行方正
実妹
〃 ハナ子(〃)
九
〃
小学四年生
〃
〃 すみ子(〃)
七
〃
小学一年生
傭人
P
四八才位
農夫
低脳しかし仕事は真面目にやる
妻子なし、住込
家族全員内気で静かではあるが家庭は円満で暗くない。いままで子供について心配をさせられたことは一度もない。
祖父は老令であり、私は心臓が弱く、入院したこともあり、完全な就労は不可能であり母親カネも同じ頃私が入院して心配し看病に疲れ、父退院後三ヶ月も呼吸器疾患のため、入院したことがあつて現在もなお無理できず従つて農業は長男信次とPが二人でやつていると同様である。
耕地は田が一町四反畑が九反歩で忙しい時には二人の手に余り臨時に人を傭う。父も時には働くし、子供達も皆手伝う。欠けた子供は、保とハナ子の間に一人終戦の年、生後四ヶ月で肺炎の為死亡しただけである。その他家族は全員丈夫で前述の様に約三年前私と妻が入院したぐらいなものである。
少年の生活史
出生時は普通であつた。母乳が少し不足で、牛乳を飲ませたように思う。妻は当時は健康であり、家庭の生活は中流だつた。子供の頃は特に変つたこともなかつたように記憶している。病気らしい病気もせず、順調に発育して、○○小学校に入学した。成績はあまり振わなかつたが温和しく真面目で仕事をさせてもよくやつていた。
中学入学もすべて普通だつた。
中学卒業期を迎えたとき、本人は就職を希望し、岐阜の紡績会社の採用試験を受けたりしたが、私達はやはり今の世の中は学校を出ていないと将来性がないと思い、本人にも話してきかせたらその気になり、幸い○○の商業科に合格したので入学した。家から学校までは約一里あるが、歩いたり、自転車に乗つたりして、真面目に通学を始めた。珠算の級をとるとか、一生懸命にやつていたが、三年になつてから勉強に熱がなくなつた様に見えた。家に帰つてると家の手伝もし、勉強にも熱心だつた。最近勉強をしなくなつたといつても試験のときなどには夜遅くまで机に向かつていた様だ。
私はPTAには大抵出席していたが、三年になつてから通信箋も忘れたとか云つて見せなかつたので、そのうち学校に相談に行こうなどと考えていた。もともと温和しい性質で無口であり家にいてもあまり話をしない方だつた。特におしやれではないが、洗濯は自分でやつていた。今年の五-六月頃から髪を伸ばし始め、私は学生のくせにと注意したことがあるが、友達の家とかで刈つて貰つたとか、最近は学校で長髪を認めているようなので私も別に気にしなくなつた。また小さい頃から無口のかわり、短気であり人にへつらうということが嫌いむき出しの性質だつた。しかし優しくない、というのではない。
非行当時の少年
家では相変らず家事を手伝う、試験期には勉強もし、夜は映画に行く位で他に外出もなく、授業料の滞納もなく、休まず通学し、服装は常に学生服で変つたこととて別になかつた。兄弟とは誰とも特に親密ではなかつたようだが、此の頃小さい子供が寄つて行つたりすると、殴るぞなど云われるらしく弟妹からこわがられていた。両親の云うことに対しては素直な方であつた。私の家では私よりも妻の方が注意が多く細かいことを注意しており私は大きな注意をしていた。学校から真直ぐ映画に行くこともありその時は十時すぎに帰宅するが、その他は遅くても夕方までには帰宅していた。小遣は要求に応じて与えていたが、映画を観る金はやらぬ、などということはなかつた。映画は友人に奢つてもらつたこともあるらしい。今年の七月頃から二度ほど友人の家に外泊したことがあつたがその一度は雨具なしで雨にあつたようだつたように記憶している。友人というのは○○○にいる○○高校生とか家に来て泊つたこともあるが、Sとかいうその学生は見たところでは普通、素直そうな子だつた。その他私も知つている友達はKという輝一が高校一年頃からの友人でこの人は前に○○村に住んでいたことがあり、今は○○から○○高校とかに通つているとか、この人は普通の友達だつたようだ。
今度亡くなつた人のことは全然聞いたことがない。
今年になつて、知人から輝一の友達は悪い等と聞き心配になり本人にただしてみたことがあるが、本人はそんなことはないと云つていた。
以上の通りで私としては、別に今度の事件になつた原因等に思いあたることは何もなく勿論輝一の服装や持物を検査したこともなかつた。短刀を持つていたことなど全然知らずにいた。煙草も家ではやらなかつた。
本件について
以前に警察に呼ばれたことはない。
今度のことは七夕の最終日妻に頼まれて、○○市に卵を売りに行つた晩のことだつた。七夕見物などといつてもウロウロしていたのが間違いのもとだつた。私のところでは鶏を飼つており卵がたまると○○市に持つて行き契約してある店に卸してくることになつていたのだが、その日は五時半頃、夕食前に自転車で出掛けた。明かるいうちに帰れるはずだつた。
翌日輝一は腋臭の手術の為ひとりで病院に出掛けたが、帰宅が遅くそのうち事件のことも耳に入つて、もしやと心配になり私が病院に行つてみたが居らず警察に行つた。そこで初めて輝一が加害者であることを知つた。その時の驚きは何とも云い難い。早速そのあしで被害者の家に謝罪に行こうとしたが警察の人にとめられ、翌日かえつて私でない方がと、心配してくれた知人のUさんにとりあえず謝罪に行つて貰つた。被害者は○○市○○○というところで農業を営む家の息子だとか、全く申訳ないことをしてしまつたと私はそれ以来頭が混乱する程心配し続けている。
次にお葬式の日やはりUさんを通じて花輪一基と果物線香ローソクなど霊前に捧げようと届けて貰つたが、受けとつてもらえなかつた。
その後隣組の人三人親戚から二人私と妻とがお悔みに行つたがあんなところに行つた息子が悪いのだと、こちらの気持は勿論、包んで行つたものも全く受けつけてもらえなかつた。その後そのままになつているが、Uさんにでも仲に入つてもらつてそのうちなんとかするつもりでいる。先方の云うとおりにしていくらかでも故人及び家族を慰め輝一の罪のつぐないをしなければならないと思う。
家族は皆非常に心を痛めている。弟妹はその為学校を休むようなことはない。
意見書
福島家庭裁判所
裁判官 羽染徳次殿
昭和三一年九月四日
同庁
家庭裁判所調査官 東郷晶子
昭和三一年少六七四号 少年 山田輝一(仮名)
右記少年に対する保護事件について調査の結果、左記の通り中間意見を提出します。
記
一、少年は生来内気、神経質であつたらしいが中学校一年の終り頃からそれが昂じて神経病的にさえなり少年を悩ませていた。元来智能は優れている方ではなさそうであるが学業成績が不振であつたのは、少年の病的ともみられる程の内向性に大きな原因があつたと考えられる。
高校に入つて、少年は自分とは性格的に対照的な友人Sを得た。少年はSに魅力を感じ、交際しているうちに粗暴な鈴木に影響され、次第に反抗的、攻撃的になり学校怠休、喫煙、授業料の滞納費消そして今年に至つて匕首携行という様な反社会的行動がみられるようになつた。これら一連の行動は少年の性格上の弱点である。極端な内向性に対して、同じく青年期特有でもある激しさであらわれた補償行動と解され従つて本件非行も青年期の心理的特質にその基盤が求められる。
二、非行の態度は単純であり、少年の匕首携行がたまたま少年には意外に重大な結果を招いたもので少年の前記性格からみても少年に確かに殺意があつたとはみられず、衝動的応戦行為でしかなかつたのではないか。
三、少年には多少の不良傾向が初発非行であり、年令も満十七才で性格の可塑性にも富み、現在の少年の心境からみても、指導如何で健全な精神発達を遂げることが可能であるとみられる。
そこに矯正教育の余地と必要が認められる。
以上から、本件は少年事件としてはあまり重大な非行であるが少年であるが故にとも云える。
そして保護可能性があると認められる以上、保護事件として審理するのが適当と考える。
ただ犯罪の一般予防という問題を如何に調整させるかが非常に難しい課題であると思う。
本件については社会調査がなされていないので決定的な意見は提出することはできない。
鑑別結果通知書<省略>